関裕二先生インタビュー(後編)
「異端の古代史」シリーズ著者:関裕二先生インタビュー
著者の関裕二先生に、本シリーズの見どころやポイントについてお話しいただきました。
Q4:普段はあまり聞けないお話を! 先生が古代史に関心を持たれたきっかけは何ですか?
きっかけは、仏像ですね。
中学三年の修学旅行で京都・奈良に行ったときは何も感じなかったんです。ガイドさんに案内されていたからですかね。
ただ、個人的に卒業旅行で京都に行ったんです。その際、三十三間堂で仰天しちゃったんです。三十三間堂の雷神像など、今は表に来ていますけど、昔は裏にあってあの辺にびっくりしました。
法隆寺では腰を抜かしました。
当時は、「日本の美」は、世界と比べて低く見られていました。「美術も音楽も、レベルが低いんだよ。だから、西洋に追いつこうね」と、授業で教わっていました。ところが、目の前にある仏像群は、「大人たちの教えてくれた常識」をせせら笑うかのように、自信に満ちあふれ、輝いていたんです。それこそ、「ガツン」とやられました。いちころです。
そこから休みのたびに奈良に行っていました。
それ以降の人生はどうすれば奈良に近づけるかという一心でしたね。
中学三年で目覚めて、高校時代は暇さえあれば奈良に行きで、奈良に近づくために大阪の学校に行って、就職後は毎月奈良に行っていましたね。仏像はいいですよ。
仏像はいくら見ても見飽きないし、見つくせないし、あとは好きな仏像があったっていうのもありますけど。
日本の中で特に好きな場所があって、それは奈良と松本なんです。
なんというか、土地に呼ばれるというか。
誰も信じてくれないのですが、奈良で一番好きな場所があって、そこに行く際、いつも快晴なんです。雨の日だったことがありません。(笑)
就職しながらもそんな奈良通いをしつつ、歴史を調べ続けていて、段々と古代史がわかってきました。段々と蘇我入鹿が悪人じゃなかったんじゃないか?って思えてきたんです。
蘇我入鹿を祀っている、入鹿神社っていうのが橿原市にあります。そこに行ったらやっぱり地元の人が入鹿さんを大切に守ってるし、飛鳥寺に行けば首塚があって、野の花がやっぱり手向けられてあるのですね。
これはどうもおかしいなと。それから調べはじめて8年目あたりに、梅沢恵美子さんという歴史作家さんが、それを本に書けって勧めてくれたんです。
無謀ですよね。経験もない新人がいきなり歴史書を書き始めるんです。
ただ、幸運なことに、書き始めたら出版がすぐ決まったという。
あのバブルのちょっと落ちる直前だったからですかね。だから出版社も出してくれました。今じゃなかなか、難しいでしょうね。
そして、本が売れれば、すぐに余裕も出来て、奈良に住めるんじゃないかなっていう考えもありました。(笑) 考えが甘いですよね。(笑)
まだ実現できてないのですが、いつかは、住みたいですね。
Q5:執筆の際、気をつけていらっしゃること、または、読者の方に対し、意識されていることはありますか?
例えば講演会なのですが。
話の持っていき方で、聞かれている方の目の輝き方が全然違います。
それを体験しちゃうと、何を求められているかっていうのは気を遣うようになりました。
どういう話を持って行ったほうがおもしろいのかっていうことは意識しています。
講演会で聞いてくださる方の目の輝きを見ちゃうと、こっちも楽しくなってきますよね。
また、おそらく私はひらめき型なので、その感動をいかに伝えるかっていうのは気にしています。
著者が感動しない限り読者の方もそれを読んで「あ、なるほどな」って思わないですもんね。そこは守っていきたいです。
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